
これまでの移り変わり
沿革
相模原市スケート協会の出来事を掲載。※下線部は外部リンク(当時の物で現在とは異なる場合あり)
1962年~1971年
昭和37年度 12月7日、相模原市スケート協会設立・体育協会加盟。
12月18日、総会。規約検討、当面の事業・活動計画が決定される。
2月、市民スケート講習会(神奈川スケートリンク・長野県白樺湖)
3月12日、市民スケート講習会(神奈川スケートリンク)
昭和37年~40年代の講習会は、氷を求め、白樺湖、榛名湖、松原湖、箱根強羅、神奈川県スケートリンク、富士スバルランドで開催。箱根駒ケ岳スケートリンクで理事研修会。昭和39年度2月20日~21日、白樺湖にて第1回市民スケート選手権大会。その他、スピードスケート国体予選など。
1972年~1981年
昭和47年度 2月10日、相模原市スケート協会創立10周年記念式典(上溝公民館)
昭和48年度 8月上旬よりスピードクラブ陸上トレーニング開始。市陸上競技場
市民スケート講習会を中心とした活動。講習会の実施場所が相模原に近くなる。理由は、近場で数多くの回数で講習会を計画、市民の期待に応えられる講習会でありたいとの要旨。その他、倫理講習会・実技講習会等、指導や技術の研究が盛んに行われる。
昭和51年度 10月1日、相模原スポーツセンターがオープン。
相模原市南台に相模原スポーツセンター(通称ぶどう園)がオープンにより、今まで年間7~8回だった市民スケート講習会が早朝2時間を利用して20回~25回開催出来るようになる。早朝講習会と併行に各団体(子供会)等から指導依頼が多くなる。
昭和54年3月11日、相模原スピードスケートクラブ結成。(相模原SSC)
昭和57年度 3月6日、相模原市スケート協会創立20周年記念式典(市民会館)
昭和58年1月、フィギュアクラブ結成。
1982年~1991年・1992年~2019年
昭和61年度 相模原スポーツセンター閉鎖。
昭和62年度 ピープルアイスアリーナ海老名にて市民早朝スケート講習会。
昭和63年度 スケートリンク建設説明会(市役所)
昭和64年 1月7日、昭和が終わる。
平成2年度 10月14日、淵野辺公園内、スケート場視察。
平成2年度 1月20日、淵野辺公園、銀河アリーナがオープン。
平成2年度 1月20日より市民早朝スケート講習会スタート。
平成3年度 2月、カーリング教室スタート。
平成3年度 5月、アイスホッケークラブ結成。(銀河ブルーシーズ)
平成4年度 カーリングクラブ結成。
平成4年度 ジュニア教室スタート。
平成5年度 4月25日、相模原市スケート協会創立30周年記念式典(銀河アリーナ)
平成6年 相模原フィギュアスケーティングクラブ結成。(相模原FSC)
平成15年 11月30日、相模原市スケート協会創立40周年記念式(銀河アリーナ)
平成18年度 受付用IDカード導入。受講証リボンからIDカードに変更。受講生に記念ピンバッジのプレゼント(12回受講)開始。
平成23年 3月11日、東日本大震災により、それ以降の事業は中止・打ち切り。
平成24年 10月14日、相模原市スケート協会創立50周年記念式典(あじさい会館)
平成31年 4月30日をもって平成が終わる。
スケート協会のホームリンクとして10年間、市民の生涯スポーツのよりどころとして、親しまれ、愛された相模原スポーツセンタースケートリンクが昭和61年に諸般の事情で閉鎖。市民対象のスケート講習会、教室は継続しなければならない。閉鎖と同時に海老名のスケートリンクを利用する事が出来た。その数年後の平成3年1月20日、待望の銀河アリーナがオープン。新たなホームリンクで、20数年。市民早朝スケート講習会、ジュニア教室、カーリング教室、小学校スケート教室、依頼事業、各専門部クラブ・チームの活動、市民選手権大会(ショートトラック)、アイスホッケー大会など、平成31年4月30日まで活動。そして、令和と言う新たな時代を迎える。
2019年(令和元年)~
令和元年度 公式Twitter、公式ホームページ等のSNS開設予定。
令和2年 新型コロナウィルス感染拡大防止の為に事業は中止。
令和3年度より各種スケート教室が再開。
令和5年 10月8日、相模原市スケート協会創立60周年記念イベント実施(銀河アリーナ)